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  [僕には超人願望があり 生還率が低いほど 闘争本能に火がつく]

闘争本能に火がつく

三浦雄一郎さんがエベレストをスキーで滑った 37,38歳の頃、周りは「できるわけがない」と言った。到底不可能とか生存率が低いと言われれば、異常に燃えたと思うんです。男のロマンというか、極めて難しい挑戦を非常に困難な状況の中で実行しなければならないとなると、闘争本能にボッと火がつくわけです。もちろん現実に実行するとなると、そんなに簡単に命はかけられないから、緻密な計算をします。

世界には「神の領域」と呼ばれる 8000m級の山が14座あります。これを無酸素で制覇したのは人類で2人しかいない。最初にクリアーしたイタリア人のメスナーの死亡率は102%だったんです。一度登るごとに死亡率は3%といわれていますから、彼は14座達成するために34回くらい登っているので102%となるわけです。数字だけ見ると100% を超える危険性があるんです。僕は現在16回くらい登っているから、「小西の死亡率は大体50%だ」とよく言われます。これまでに僕は8000m峰を6座クリアーしているから、あと8座残っています。それには15-16回かかるだろうと見ています。つまり目標達成までにはトータルで32~33回登るでしょう。ということは死亡率は99%になる。確率はどんどん高くなるから、どこかで必ずひっかかるぞと言われています。ただ、僕は確率はその人の問題で、生還の確率は努力や運で左右できるだろうと思います。

非常事態が起こった時の心構えと、何度も繰り返しシミュレーションを積むなど事前トレーニングを完璧にやれば、その危険性はかなり防げるはずです。ただ、ヒマラヤの 8000m峰は客観的な危険率がものすごく高いんです。天候や雪崩はこちらではコントロールできません。

山登りという行為は、不便を楽しむことなんです。食事は極端に少なく、寒く、空気は薄く、気圧は低い。死と隣り合わせのデンジャラスな環境です。この苦しい事が楽しめるかどうかがポイントです。「何であんなつらい山登りをするのかわからない」とよく言われますが、そのつらさを喜びと感じられる人でなければ山には登れません。事実、楽しまなければできないですね。のどがカラカラとか、飯を何日も食べていないとか、これを楽しめるかどうか。たとえば、登山で使う狭いテントには耐えられないという人がいますが、僕なんか逆にテントに入ると落ち着くし、リラックスできるんです。

Esquire news 2002 年 5 月


三浦恵美里氏 ( スポーツコーディネーター ) との対談より要約

メスナーが 14座すべて登り終えた86年10月、「私は記録を立てることを誇りには思わない。(中略)誇れる唯一のことは生き延びたということだ」と語っている。

生き延びる事、それが基本であり、またすべてでもある。体力、技術、精神力が超一流というだけでは、とても全 14座の登頂、生還はなしえないと小西は言う。「自分は死なない」という絶対的な自信と「死んだら自分は所詮それまでだった・・」という達観めいた死へのスタンス。強烈な8000mへの思い。それを実行するための卓越した精神力、それが彼の持ち味であろう。

8000m 峰に酸素を吸って到達したら、実際は 8000m の高度にいるにもかかわらず、体のコンディション自体は 6000 mにいるのと変わらない。だから、本当に高さというのを追求するのであれば、自分が持って生まれた心臓と肺、生身の肉体で行く事が一番ナチュラルじゃないかと思っているんです。エベレストの頂上に登るために、大量の酸素ボンべとおおぜいのシェルパのサポートを受けていくのはもちろんそれでいい。基本的に登山家の 99%がそうですから。でも僕には超人願望があって、他の人が普通ではできないこと、次元の違う事をやりたいんです。 ただ、現実に、そういう世界に無酸素で行って還ってくるとなると生還率も低くなりますし、登頂率も低くなるんです。 6000m 以上の山での死亡率は 3 %と言われています。それが 8000m だと何%かという具体的な数字は出ていないのですが、多分 3 %は少しだと思う。だから仮に 8000 m峰に 33 回以上行ったら、死亡率は 99 %以上になるわけですよ。だから毎年毎年そういう高い山にバンバン行くのは、死への確立が蓄積していく事になるんじゃないかと、以前、日本の一流クライマーとも話をしたのです。しかし、極端に言えば 100 回行っても死なない人間もいるだろうし、一回で死ぬ人間もいる。ひとによってそれは全く違うというのが持論です。常に還ってくることを頭において登り続ける。これが重要です。登れる条件というのはいろいろとありますが、自分の体が登れるコンディションでないといけないし、山のコンディションも、天候もある。それがクリアできた上で登れる。欠けている時に突っ込んだ場合は生きて還って来れない可能性が圧倒的に高い。そういう登山を続けていると、長続きはしないです。一発勝負だったら命捨ててでも突っ込もうって賭けができることもあるかもしれませんが、 14 座登ろうとした場合、実際は倍以上の回数を挑戦しなくてはならない。できる無理とできない無理がある。もちろん突っ込む時には突っ込まなくてはいつまでたっても登れないですから、そのあたりの紙一重の判断がすごく大切なんです。

( Tarzan No.406 より抜粋、要約)


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